自宅は田舎で田んぼや畑ばかりです。
今、畑で青々しているのは牧草。
うちの庭でも牧草を作ろうと種を蒔いてみましたが残念ながら発芽せず。
種が古かったのかもしれません。
新しく種を購入して再チャレンジしたいと思います。

さて、うさぎの紹介のラストはうるし。

うるしは今年の10/31にこちらの世界を卒業しました。
12歳と1ヶ月。
ご長寿ですね。

そんなご長寿なうるたん、病気がちでした。
健康優良児とは言えない子が12歳まで生きることが出来たことは凄いことだと思います。

6月におねぇちゃんを亡くし、やさぐれていました。
その年は仕事も受難の年で、6回くらい転々としていましたね。
仕事が決まったらうさぎと暮らそうと思っていたのですが、思うようにいかず、どんどん気持ちが沈む日々。
精神的にもまいってきて、収入は心配だけど先にうさぎを迎えたほうがいいんじゃないか?
そう思って希望するうさぎを探すことにしました。
今思うと無謀ですね。

おねぇちゃんが3歳半で短命だったから、兎に角、長生き出来そうな子を迎えたい。
ならば、きちんとうさぎを管理している専門店で購入しよう。
色はブラックオター。
当時は保護とか里親とか全く頭になく、ネットで専門店で黒い子を検索。
S市の専門店にブラックオターの子うさぎがいるのを見つけて店頭まで行くことにしました。

お店でブラックオターの子もいましたが何となくピンとこず、真っ黒の子も抱っこさせて貰いました。
そのとき『あ!この子だ』と根拠もなく思ってお迎えすることにしました。
まだ小さかったのと仕事が決まっていなかったのもあって予約という形で後日お迎えに行きました。
うるしをお迎えすることが決まった直ぐ後に新しく仕事も決まりました。
その職場は今年7月に退職するまで11年8ヶ月間、働いた会社です。
うるしが運んで来てくれました。

長生き=健康
それは勿論のことなのですが、うるしはそうでもありませんでした。
うるしを迎えた次の春にEz症(エンセファリトゾーン症)を発症してしまいました。
症状は食欲不振と目の膿瘍。
最近になって専門的な病院で治療ができるようになってきましたが、当時はようやくEz症の検査ができるようになったばっかりの頃で、『飼育書でも不治の病、突然死も有り得る』なんて記述されていました。
おねぇちゃんも病院通いが続き短命でしたが、この子もまたそうなるのかと目の前が真っ白になりましたね。 

丁度生後半年の頃で信頼関係を築くタイミングです。
毎日の投薬や頻繁に通院をしてすっかり信頼を失いました。
頑張って通院しているのにどの抗生剤も効果が出ずどんどん目は真っ白に。
薬の副作用でごはんもあまり食べてくれません。

通院しても通院しても良くならないことから、思い切って通院を一旦やめてみることにしました。
様子をみて症状が進むようだったらまた病院へ行けばいいことです。
通院が辛そうなうるしを見てられませんでした。

これが意外なことに幸をなし、症状の進行はゆっくりになり時期に落ち着きました。
食欲も戻り、目が真っ白なこと以外特に問題ありません。
ただ、一度失った信頼はなかなか取り戻せませんでした。
おねぇちゃんの時は病気になっても問題なく関係が深まっていったのに何が悪いのかずっと悩むことになります。

転機がきたのはうるしが3歳になる少し前。
あるきっかけでアニマルコミュニケーションの存在をしり、セッションを依頼しました。
自分でも出来るようになりたいと思いワークショップに参加しました。
ようやくそこでうるしの気持ちに寄り添うことが出来て関係は修復されました。
お互い思いやっているけど、ちょっとしたボタンの掛け違いだったんですよね。

アニマルコミュニケーションとレイキ(ヒーリング)はセットで学ぶ人が多く、うるしの目の負担を軽くしてあげたいのでこちらも勉強することにしました。
そのレイキの会場で知り合った人に誘われたイベントにマータくんやマーイちゃんの元飼い主がきていました。
夫もそのイベントのボランティアスタッフをしていて、そこで知り合うことになります。
うるしは仕事を初めとして色々な縁を結んでくれました。
うるしがうるしで無ければ今の私は存在しません。

目の膿は落ち着きましたが、うっ滞になったり、Ez症が再発し斜頚になったり、何度か闘病をしました。
最後の斜頚は結構強く出てほぼ回復しましたが少し首は傾いたままになりました。
9歳で腎不全になりました。
少しずつ症状が進んでいき、自宅で点滴をするようになってきました。
今年の5月で一気に症状が進んでしまい、激やせ。
一時は500g代と子うさぎ並みの体重でした。
頑張って食べて貰いましたがなかなか身にならず…。
それでも800g代まで戻ってくれました。
その後に控えている引越しも心配でしたが他の子よりも元気に安定して(メンタル的に)乗り切ってくれました。
阿蘇に来てから少しして自分ではほとんど食べなくなり毎日強制給餌。

10月末に関西に用事があり、ギリギリまで行くか迷いましたが状態が安定したのと、夫がお世話を買って出てくれたので行くことにしました。
ところが、私が帰宅する日の朝に急変し、夫に看取られて旅立ってしまいました。

12年も一緒にいて看取れなかったはとても残念ですが、関西へ出かけたことに悔いはありません。
うるしは行って欲しいので最期は頑張って安定しているように見せていたのだと思います。
これはうるしと私にしか分らないこと。
私の留守中に旅立ったことについてよく、私に見られたく無かったのでは?という声を頂きます。
でも、たぶんそうではありません。
励ましなのだと思うし、その気持ちは有難いのですがこの言葉はうるしを亡くした心にズキンと刺さります。
ギリギリまで夫になでなでをしてもらい、夫に私を託したかったのだと思います。
それが、私に看取ってもらうより、うるしにとっては大切なことだったのです。

うるしはずっと私を気遣ってくれていました。
精神的にどん底だった時期もあり、うるしがいなかったらどうなっていたことか。
私が結婚して幸せにくらしているのを見て安心して旅立っていったのだと思います。
ずっと闘病している間も生きるということに執着が強い子でした。

本当によく12年頑張ってくれました。
うるしを目標に頑張ってくれるうさ友さんやうさぎさんも沢山いました。
私たちの関係を憧れてくれる方もおられました。
うるしは沢山の人の希望の星でした。
うるたん、お疲れ様。私のところに来てくれてありがとう。

うちのうさぎ紹介はここで一区切り。
保護っ子たちの紹介もしていたらかなりの数になるのでそれは現場ごとに追々書こうかな?

では、今日も読んでくれてありがとうございます。

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